東海大学 松前記念館(歴史と未来の博物館)

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文理融合とグローバルな視点

デンマークのフォルケホイスコーレの生徒と
デンマークのフォルケホイスコーレ(国民高等学校)の生徒と(中央が松前重義)
「グローバルな視点に立って “実践する大学”を志向する」

松前重義「グローバルな視点に立って “実践する大学”を志向する(建学35周年を迎えて)」(『東海大学新聞』1977.11.20)より
人文系と理科系の融合をめざした教育の上に、各個の教育をさらに深めんとするのが本学の出発であり、今後とも変更はない。いま必要なことは、理科と文科の真の融合、理解により人類全体の将来を見こし、その上に立って世界平和の実現に向かって歩むことである。

大学としてはグローバルな視野に立つ活動をすること、これが東海大学の使命だと考えて現在までやってきた。これからもこれは変わらない一番大切なことだと思う。〔…〕

これを教育の主たる目的に掲げる理由は、大学自体の実践を通じて高等教育を行っていくこと、その実践そのものが一つの教育と考えるからである。単なる知識の伝達に終わるのではなく、教授された知識が学生の内部で発酵して、一つのテーマに向かって大きく育っていくことが本来の教育の姿であると考えるからである。

もう一つは、大学が社会の要求に応えうる活動をするという方向である。社会の要求とは現在の日本に迎合することではなく、全人類的見地から求められていることを人類愛の立場から大学として取り組むことである。〔…〕

 大学教育にしても、外交にしても、日本は本当にグローバルな視点に立脚しなければだめだ。全人類のためにやる、という理想の上に立って行うべきだ。 日本だけが、東海大学だけが専有するというのでは意味が無い。〔…〕

「風をうかがうものは種をまくことを得ず」「雲をのぞむものは刈ることを得ず」という。風が吹くから…、雲が出てくるからといっていたのでは、種もまけず、刈り取りもできない。

デンマーク・アスコウ国民高等学校校長一家と
デンマーク・アスコウ国民高等学校校長一家と 1934年(昭和9年)
教育による人づくり

松前重義「東海大学建学40周年記念式典での式辞」(『望星』No.14-1,1983.1)より ※一部改変
私〔松前重義〕が教育を志した思想的根底とは何か、と申しますと、若き日に私自身の内的苦悩からの出発であるといえるのです。私は当時人世/人生何をなすべきかに悩み、内村鑑三先生から多くの教えを受けたのでありますが、そこで私のことを動かしたものは、教育によって国と社会と世界に奉仕することができないかということであり、それは同時に、私自身の心の中に強く刻み込まれたのであります

教育を以って自己の人生を全うしようとしたその原動力の根底を考えてみますと、“汝のパンを水の上に投ぜよ 多くの日の後に汝再びこれを得ん”という聖書の言葉が想起されるのです。パンを水の上に投じれば、魚が食べるか腐ってしまうかも知れない。しかし、パンを投げようというのであります。すなわち全ての人生を、利害得失を考えるより、世のため、人のため、社会のために投げだせ、というのであります。

これは旧約聖書の伝道の書第十一章の第一節の言葉ですが、同じ章の第四節には“風をうかがうものは種を蒔くことを得ず”という言葉があります。風が吹けば種が吹き飛ばされるから蒔かずにおこうと、いつもオドオドして恐れおののいていたのでは、種を蒔きそこね、収穫も覚束ない。さらに“雲を望むものは刈ることを得ず”という言葉が続きます。雲がでてくる、雨が降るかもしれぬと心配する、このような考えでは、決して勝利の人生を勝ちとることはできないのです。

内村先生に私淑し、人世/人生何をなすべきかを考え、教育に専念しようとした契機は、まさにパンを水の上に投ずる気持であり、風を恐れず種を蒔き、雲を恐れず人世を生きよと教えた聖書の言葉にあったと思うのです。一粒の種が地に落ちて死ねば、その種子から多くの実が出ずるであろう。すなわち新しい生命の源となるのであります。断固として人世の決意をせよということを自覚するにいたったのは、私の青年時代でありました。