東海大学 松前記念館(歴史と未来の博物館)

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現代文明論

前総長
前総長 松前重義
現代文明論の使命

松前重義『現代文明論』(東海大学出版会,1964)より
大学を作り、人を育てようとする以上、文明ということについて、はっきりとした考えを持っていなければならない。また、大学において、学問を学び、明日の社会を担おうと志す学生は、文明とはどういうものか、社会がいかにあることが文明なのかということがわかっていなければならない。

現代文明を、ただ単に、いわゆる“現代の目”で眺めていたのでは、「現代」ということも「文明」ということも、ついに理解できずに終わるであろう。現代の文明を理解しようとしたら、われわれは、それを人類の歴史の流れの中に把握することを忘れてはならないのである。大きな目で人類の歴史を眺めることによって、はじめて現代とは何か、文明とは何かということもわかってくるのである。

人生いかにいきるべきか。社会に対する生存の義務を自覚し、それが基盤となって教育を受ける者でなくてはならない。 従って、われわれの文明はいかにして築かれたのか、現代文明の抱える問題は何か、今後の思索の根本を与えるものとして、全ての学生に現代文明論の講義を課しているのであります。 知識と技術のみの習得でなく、自ら得た学問と、歴史を支配する原則を把握し、その歴史観をとおし人生や世界について常に考え、現代に生きる人間として今、何をなすべきかを問いかけることが「現代文明論」の使命であります。

望星学塾 1936年(昭和11)
望星学塾 1936年(昭和11)前列左から2人目松前重義、4人目篠原登、2列目左から4人目大久保眞太郎
東海大学の教育の源流

松前重義「回顧と前進 東海大学建学の記」より
私は初めて内村先生の聖書講義を聴いた。そして打たれた。台風に打ちひしがれた稲穂のように、私の心の中にあった一切のけち臭い自己保存の意識はあとかたもなく叩きのめされた。日曜日ごとの内村先生の講義は、私の血となり、肉となった。なかでもひときわ強く私に感銘を与えたのは、旧約聖書伝導の書の「汝のパンを水の上に投ぜよ、多くの日の後に汝再びこれを得ん」という教えであった。即ち、常に善をなせ、たとえそれが無駄な効果のないものであるかのようであっても、多くの日の後に何らかの報いが君に返される。これは一種の歴史の教訓である。内村先生の講義を聴いて人生観の確立、世界観、歴史観の把握、これらの上に、人生如何に生くべきか、社会と国家とは如何にあるべきか、この土台の上に自らの生涯の使命を発見しなければならない、との信念が徐々に私の胸中に秘められるに至った。

私は先生の「デンマーク国の話」という一文を読み、今井館聖書講堂において平林広人氏の「デンマークの復興と国民高等学校について」なる講義を聴き、少なからざる感銘を受けた。聖書的歴史観と人生観、世界観とを教える青年教育によって、今日の豊かなデンマークが生まれた事実が私を動かしたのである。以来「私もまた教育によって愛する祖国、平和日本を興そう」というのが私の人世の理想となったのである。

私はひそかに私塾教育を志し、私宅の書斎で「教育研究会」を開くことにした。会とはいっても会員は篠原登、大久保真太郎、宗像勝太郎の3氏と私の妻の僅か5名であった。そして熱心にデンマークの教育、グルントウイの思想やフィヒテの「ドイツ国民に告ぐ」、ペスタロツチ、アルベルト・シュワイツェルの事業等について研究したのである。
1932年(昭和7)、たまたま私は逓信省よりドイツ留学を命ぜられた。このとき私は役所の了解を得て前後2回、約2カ月にわたってデンマークの国民高等学校、農村協同組合および社会機構や青年運動について起居をともにし、つぶさに実情を探り、日本の真の建設も、このニコライ・グルントウイのデンマーク再建の精神と教育運動に礎を置くべきであることを確信するに至った。