東海大学 松前記念館(歴史と未来の博物館)

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無装荷ケーブル通信方式の発明

世界一周電気通信線路
世界一周電気通信線路
無装荷ケーブル通信方式の発明

松前重義『東海大学建学史』より
 私は大学卒業後、逓信省に職を奉じた。そして電気通信技術に関する事業に携わった。当時我が国の技術は外国依存であった。特にアメリカ一辺倒の体制にあった事に対して大いなる疑問を抱いたのである。我が国独自の技術により海外の影響を受けない自らの力による国産技術の研究に対して、私は自分の努力を傾けた。これこそ無装荷の多重通信技術開発の出発点であった。今日この多重通信技術の研究成果は、世界に於ける長距離通信を可能ならしめたのである。即ち地球上何処へも通信を可能にし、経済、文化の発展に寄与するに至った。

松前重義『発明記』(東海書房,1953)より
私がこういうことを考えるに至った思想的な背景は何処にあるか。それはかつて私が柏木(新宿)の内村鑑三先生の門を叩いたことに始まる。内村鑑三のキリスト教は少なくとも儀式や制度を中心とした宗教ではない。彼らは偽わらざる飾り気のないありのままの素朴な姿において真の信仰の消息を主張した。彼の無教会主義なるものは決して教会にたいする憎悪のためではなかった。彼は、ややもすれば形式的な儀式だけでもって救われたかのごとき錯覚に陥るところの、生命のない信仰の姿にたいして信仰の復活を要求したためであった。

飾りなき素朴な自然のありのままの姿に真の真理があり、そうしてまた美があり、麗しさがあるとするならば、同じように技術においてもアメリカのピューピンのような装荷線輪を入れたり、そういう工作を施してはならないのであって、むしろこれを自然のままに置き、そうしてその素朴な基礎の上に立って将来の技術を展開すること、このような考え方を世界観として、そしてまた宇宙観として、私は技術の世界を見るようになった。

着想や創意や工夫は単なる頭のよさや、その人の器用さからでてくるものではなくして、何と言っても、その人の抱えておる思想、人生観、世界観の根柢の上に芽生えるものであると私は今もなお信じている。

内村鑑三
内村鑑三
松前重義が無装荷ケーブルを用いた長距離電話システムを開発しようとした理由には、装荷方式による通話距離と品質の改善という技術的な問題解決以外に、もう一つ重要な目的があったことを博士論文に書いていたことが、以下に引用する『わが人生』に記されています。

松前重義『わが人生』より
私がなぜこの研究と開発に自己をささげるにいたったかという私自身の“内なる動機づけ”をも開陳するべきであるとの結論に達し、冒頭、まず私の人生観や社会観、世界観から書きおこすことに意を決したのである。

私は、科学技術というものが物質文明の奴隷であってはならず、また科学技術者のエゴイズムの具であてもならず、科学技術はあくまでも人類の平和と幸福とに寄与すべきものであるといった趣旨の理念を述べ、電信電話事業のより有効な発達が国際間の自由な対話を促進し、ひいては国際間の文化交流と相互理解に役立つであろうことを強調した。当時、第一次世界大戦の反省から設立された国際連盟は大国間の利害関係によって歪められつつあっただけに、私としては国際的平和確立の一助としての電信電話事業の国際的発展を、ほんとうに切実に願っていたのである。その考えや論旨は、結局、内村鑑三先生によって開眼せしめられたところの真の人間愛、真の人類愛に基づくものであった。私はそのことをも序論に述べ、また物質文明は精神文明とのバランスをはかりつつ発展すべきことを強く主張したたが、それは私の生涯を貫く不変の信条であり、私が現在もなお説いてやまぬ「現代文明論」の主旨にほかならない。